本文
遠賀町の偉人(竹森賞の創設者 竹森 啓祐)
竹森賞=その年の成績が優秀だった卒業生と在校生に与える竹森氏が私財を投じて創設した奨学制度。
幼少の竹森啓祐さん そして産婦人科医へ
竹森さんは、明治20(1887)年6月15日に遠賀郡若松村(現、遠賀町若松)に父惣太郎と母倫子の三男として生まれました。
幼いときから家業に励み、明治45(1912)年に日本医学校(現、日本医科大学)を卒業しました。大正3(1914)年からは、大阪の「緒方助産婦学校」の嘱託講師になり、緒方正清院長から産婦人科臨床の指導を受けることになります。
医学博士号取得
大正6(1917)年には、大阪市東区東雲町に病院を開設し、昭和26(1951)年まで「竹森助産婦学校」の校長として従事しました。
大正11(1922)年から大正15(1926)年までは大阪安原研究所、大正15(1926)年から昭和4(1929)年までは、東京大学血清学教室の教授三田定則先生から血清化学研究の指導を受けています。
そして、昭和6(1931)年7月8日専門だった産科婦人科学で、医学博士号を取得します。このときの提出論文は『子宮及膣粘膜ノ抗原透過性「慣」に就テ』。東京帝国大学(現、東京大学)で、学位を授与されます。
遠賀町の発展に助言
竹森さんは、医学博士としてだけではなく、遠賀町の農村の振興のため、稲作増産計画を企画します。また、「遠賀農友会」を結成し、稲作技術導入講習会の実施や、稲作の革新・改良の普及のために多額の資金や奨励金を投入しました。
また、昭和39(1964)年の町制施行祝賀会の席では、「排水施設ができていない。環境衛生の充実を図ること」と、他の出席者がお祝いの言葉を述べる中、一人今後の町制に対して意見を述べたそうです。
「竹森賞」誕生
竹森さんは、島門小学校と浅木小学校に、私財を投じてその年の成績が優秀だった卒業生と在校生に対して、奨学制度「竹森賞」を設けました。「竹森賞」の賞品には、竹でできた「すずり箱」が贈られていた時期があったそうです。
この「竹森賞」は、島門小学校で昭和6(1931)年誕生し、昭和34(1959)年まで、約30年間も続きました。
数々の寄附
竹森さんは、「竹森賞」の他にも勉学のための図書や楽器、機材施設なども寄附しました。
竹森さんが寄贈した図書は、「竹森文庫」と呼ばれていましたが、昭和28年の水害のため、残念ながら現在は残っていません。
図書寄贈のときに竹森さんは、「私は財閥でも実業家でも金持ちでもない、私の寄付金は旅行のたびに、1等車に乗らず3等車で済ませて貯めたものです」と話したそうです。
また、島門小学校には学校の正門や、桜やつつじなどが植えられた「竹森記念園」などが寄附されています。この「竹森記念園」は現在も残っており、虫取りなどを楽しむ、児童たちの憩いの場になっています。
歌人であり文豪
遠賀町の神社、学校、公民館などにいたるところに、句碑や歌碑などが残されています。
また、竹森さんは浅木小学校の児童たちのために、自作の歌を贈っていたそうです。その中には、「米作節」や、「産業遠賀村の歌」などがありました。
そして、昭和36(1961)年の浅木小学校での運動会の時には、「浅木小学校運動会の歌」を作って児童たちを励ましたそうです。
晩年の竹森さん
竹森さんの喜寿のお祝いには、全国各地からお祝いの手紙などが送られてきました。これらを竹森さんは、「花意竹情」という冊子にまとめて、お礼に配ったそうです。
遠賀町の児童たちの成長と、遠賀町の発展に様々な援助をしてくれた竹森さんでしたが、昭和56(1981)年7月10日に、惜しまれながら94歳で亡くなりました。
竹森啓祐 年表
明治20年(1887年)6月15日 | 遠賀町若松村(現、遠賀町若松)に生まれる。 |
---|---|
明治45年(1912年) | 日本医学校(現、日本医科大学)卒業 |
大正3年(1914年) | 大阪の「緒方助産婦学校」の嘱託講師になる。 緒方正清院長から産婦人科臨床の指導を受ける。 |
大正6年(1917年) | 大阪市東区東雲町に病院を開設する。 |
大正11年(1922年) | 大阪安原研究所に所属する。 |
大正15年(1926年) | 東京大学血清学教室の教授三田定則先生から血清化学研究の指導を受ける。 |
昭和6年(1931年) | 竹森賞を創設する。 産科婦人科学で医学博士号を取得する。 |
昭和36年(1961年) | 「浅木小学校運動会の歌」を作る。 |
昭和56年(1981年)7月8日 |
没 享年94歳 |
竹森啓祐 肖像画
産婦人科学で医学博士号取得後、遠賀町に「竹森賞」を創設
享年94歳
竹森賞賞状
昭和24年に贈られた竹森賞の賞状
竹森庭園
島門小学校(遠賀町鬼津)にある「竹森庭園」 昭和40年寄贈
島門小学校正門
島門小学校(遠賀町鬼津)に贈られた「正門」 昭和43年寄贈
住吉神社歌碑
住吉神社(遠賀町若松)にある歌碑
「学びやの ゆききに仰ぐ 鳥見山 ぬかつ喜まつる 住吉の山」
勲五等 医学博士 竹森啓祐 書