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遠賀町の文化財(絵画)

ページID:0001468 更新日:2024年2月19日更新 印刷ページ表示

有形文化財(絵画)

菅廟十二勝図・法楽和歌(絵馬) 一双(かんびょうじゅうにしょうず・ほうらくわか)

菅廟十二勝図・法楽和歌(絵馬) 一双
菅廟十二勝図(165×70cm)(複製品)

法楽和歌
法楽和歌(181×86.5cm)(裏面)

遠賀町大字上別府 高家天満宮

 菅廟十二勝図は高家天満宮の神官・上野良秀や別府村の大庄屋・仰木廉助ら近隣の庄屋、有力者、福岡藩士らが当地方の風物景観を歌った献句13首と絵を樟の一枚板に描いたものです。

 法楽和歌は菅廟十二勝図と対になるもので、上記の人々のほか、藩の歌学指導者や神官、書家らが歌学研鑽のため56首の歌を献句したものです。歌の中には野村望東尼の歌なども含まれています。
 両作品とも墨書や絵が薄れている箇所が多く、特に絵についての詳細がわからない部分が多くあります。

 本絵画を含む三点の品は、江戸時代末の安藤菊圃(きくほ)という地方絵師の作品です。『新書画人名鑑』によると、菊圃は天保11年(1840年)に生まれ、江戸後期の画家・椿椿山(つばきちんざん)に師事し、慶応年間(1865~1868年)まで福岡、明治期は横浜に在住していました。
 『慶応二年抄録』に、菊圃は慶応2年(1866年)5月から8月まで遠賀に逗留し、高家天満宮絵馬、浅木神社三十六歌仙、唐鍬製作の図の三点を集中的に制作したという記録があり、後に紹介する上野良秀肖像画もその時に作成されたものと考えられます。菊圃の作品としては、他に「黒田二十四騎久野家隊列図」(宗像市指定文化財)が残されています。

上野良秀肖像画 一幅(うえのよしひでしょうぞうが)

上野良秀肖像画 一幅
遠賀町大字上別府 個人蔵​

上野良秀(芳草):天保2年(1831年)生~明治11年(1878年)没

 良秀は修験者・上野宗秀の長子として別府村高家(現・大字上別府字高家)に生まれ、中近世の戦乱や火災で焼失した高家天満宮の再建に大きく貢献した人物です。
 修験の業を修め、皇典を研究し、神官をする傍ら安政2年(1855年)から10数年間私塾・梅屋を開いて和漢の学を講じ、地方の子弟の養成に努めるなど江戸時代末期から明治初年にかけて当地域の教育に大きく貢献しています。良秀の家系は代々宮本院を名乗り、町内に残された古文書類にその名で記されているものがあります。

三十六歌仙板額 7点(さんじゅうろくかせんいたがく)

中納言家持​の画像
中納言家持​

素性法師​の画像
素性法師​

猿丸大夫​の画像
猿丸大夫​

源公忠​の画像
源公忠​

藤原元真​​の画像
藤原元真​​

藤原仲文​の画像
藤原仲文​​

中務​の画像
中務​

坂上是則​の画像
坂上是則​

藤原高光​の画像
藤原高光​

三條院女蔵人左近​の画像
三條院女蔵人左近​

遠賀町大字浅木 浅木神社

 慶応2年(1866年)、浅木神社に奉納された絵馬を再興するため、安藤菊圃が鞍手古門宮の絵馬を手本として絵を描き、福岡藩士36人が和歌を奉納したもの。文化財指定される以前は神社に掲げられていたため、劣化が著しいものが多くなっています。絵馬の中には額の制作に携わった大工として古賀村(現・水巻町)の井上長次郎廣光、文字の筆者名と思われる墨書が残されたものもあります。