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遠賀町の文化財(古文書)

ページID:0001470 更新日:2024年2月19日更新 印刷ページ表示

有形文化財(古文書)

年暦算 (ねんれきさん)

年暦算
遠賀町大字鬼津 個人蔵​

 鬼津の井口(いのくち)家の祖・井口又七からはじまり、小七、太郎右衛門、彦五郎、宗蔵、茂吉、彦五郎の七代に及ぶ記録で、延宝(えんぽう)元年 (1673年)から明治9年(1876年)までの約200年にわたる遠賀郡内の出来事を中心に記した史料です。克明に記された記録からは、当時の風俗や習 慣、諸行事、藩政、経済状況などについて知ることが出来ます。特に明治初年の記録については、当地方の状況を知る貴重な史料になります。

堀川筋條目 (ほりかわすじじょうもく)

堀川筋條目
遠賀町浅木二丁目31番1号 遠賀町

 吉田村車返(現水巻町)の一田家に伝えられていた当文書は、明和(めいわ)2年(1765年)2月から明治3年(1870年)5月までの期間の堀川の通船 にかかわる通船料をはじめとする諸規定の取り決めについて記されています。遠賀郡奉行と車返の一田家との間の100年にわたる条目書(箇条書にした文書) として、堀川にかかわる貴重な史料です。

奉伺覚 (ほうしおぼえ)

奉伺覚
遠賀町浅木二丁目31番1号 遠賀町

 木守(きもり)区に伝えられていた史料で、文化5年(1808年)の西川の改修工事によって生じた木守区と別府(べふ)区との土地境界の処置方法について、翌年(1809年)、遠賀郡奉行・永田伊左衛門が藩に伺い出た文書の控えです。文書によると、遠賀川本流の瀬戸付近(現中間市)の閉止による排水不良 がこの工事によって著しく改良され、特に鞍手地方の水吐川として室木(むろき)川上流の土地改善の状況を知ることができます。

小野庄屋文書 (おのしょうやもんじょ)

小野庄屋文書
遠賀町浅木二丁目31番1号 遠賀町​

 「御国中高附」「若松村田畠軸帳」「若松村薮坪軸帳」「若松村田畠名寄帳」などをはじめとする庄屋文書八十八通からなる文書です。これらの文書によって藩 制時代から明治初年の村落の有様を知ることが出来ると共に、遠賀地方の一般的な農村の生活などについても窺い知ることができます。この種の文献が当地方では非常に少ないので特に重要な史料になります。

浜崎家文書(はまさきけもんじょ)

浜崎家文書
遠賀町浅木二丁目31番1号 遠賀町

 江戸時代後期に記された「鬼津村明細帳(文政四年/1821年)」や「小鳥掛村明細帳(文政五年/1822年)」、明治時代に記された鬼津村の野取図(のとりず)31点などを中心とした107点の古文書群です。鬼津村と小鳥掛村に関する文書が多く、江戸時代後期~明治時代の両村の様相を伺いうる史料が含まれています。2点の村明細帳については10代福岡藩主・黒田斉清(なりきよ)が藩主に就任した際に作成されたものと考えられます。