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遠賀町の文化財(考古資料)

ページID:0001471 更新日:2024年2月19日更新 印刷ページ表示

有形文化財(考古資料)

細形銅矛(ほそがたどうほこ)

細形銅矛
遠賀町大字尾崎 個人蔵

 岡垣町元松原の砂丘が削られた際に、破壊された箱式石棺群の副葬品(ふくそうひん)とみられる銅剣、銅戈(か)、鉄矛(ほこ)、鉄ヤリガンナ等が採集され ており、本銅矛はその中の一部になります。現存長は16.7センチメートルありますが、きっさきが折損した際にその箇所を研磨して再使用した痕跡がみられます。出土地は岡垣町になりますが、所有者は遠賀町在住者であり、この遺物は遠賀郡内の弥生時代の状況を考える上で貴重な資料であることから、当町で指定されています。

磨製石戈・細形銅剣(ませいせっか・ほそがたどうけん)

磨製石戈・細形銅剣
細形銅剣(上)
磨製石戈(下)

遠賀町浅木二丁目31番1号(民俗資料館) 遠賀町

戈(か)は長柄(ながえ)の武器の一種で、槍とは違って刃先を柄に直角に近い状態で装着して使用します。当遺物は粘板岩(ねんばんがん)製で、銅戈を忠実に模倣して作られています。石製の戈に樋(ひ)と穿孔(せんこう)を施した例は九州では稀で、類例は関西以東に知られています。細形銅剣は元部(もとぶ) に双孔(そうこう)のある型式で、全体的に欠損部は多いですが、長さは現状で33.8センチメートルあります。石戈と銅剣には刃こぼれや再研磨の痕跡が残り、儀式の模擬戦などで使用したものと考えられます。この2点の品は土壙墓(どこうぼ)(地面を掘ってつくったお墓)から出土しています。

双口壺(ふたくちつぼ)

双口壺
遠賀町浅木二丁目31番1号(民俗資料館) 遠賀町

 双口壺は弥生時代前期末ごろ(約2,200年前)の貯蔵穴(ちょぞうけつ)から出土しています。胴部最大径42.5センチメートル、底径10.4センチメートル、器高 26.8センチメートルで、高さに比べて肩部の大きく張る扁球形(へんきゅうけい)の壺です。土器の中央には偏在して二個所に口を配置し、それを境に肩から頸部(けいぶ)にかけて左右ほぼ相似形の文様が貝殻で描かれます。双口のある独特な器形の壺は、神と人が同じ器で酒食を共にするための祭器(さいき)として用いられたのでしょう。

鳥形瓶(ちょうけいへい)

鳥形瓶
遠賀町浅木二丁目31番1号(民俗資料館) 遠賀町

 鳥の姿を模倣した土器で、容器の口を鳥の頭に見立て、ふっくらと丸みのある体部の先には粘土の円盤で尻尾(しっぽ)を表現しています。胴部に施した刺突文 (しとつもん)は鳥の斑点(はんてん)を、頸部(けいぶ)や体部に貼り付けた刻(きざ)み目のある突帯(とったい)は鳥の白帯(はくたい)や翼を現したものと考えられ、水面で羽を休める水鳥を彷彿(ほうふつ)とさせます。全長25.9センチメートル、現存高は14.3センチメートルで、脚部は破損していますが3足付くと考えら れます。類似品は中国地方を中心に古墳などの墓所から出土していますが、当遺物は7世紀後半〜8世紀前半の豪族居館(ごうぞくきょかん)に付属する池状遺構(いけじょういこう)から出土しています。

豊前坊経塚出土経筒(ぶぜんぼうきょうづかしゅつどきょうづつ)

豊前坊経塚出土経筒
蓋の内面に残る墨書「仁」の画像
蓋の内面に残る墨書「仁」

経筒の出土状態(復元)の画像
経筒の出土状態(復元)

遠賀町浅木二丁目31番1号

 全長73.5メートルの前方後円墳・豊前坊1号墳の後円部上に築かれた5基で一群の経塚から出土した陶製の経筒です。形態的な特徴から中国の越州窯(えっしゅうよう)系の窯で作られた可能性があり、経典を埋める際の専用品として作られたものと考えられています。経筒は平安時代末の12世紀前半ごろに作られたと考えられ、蓋の内面と筒身の高台外面に当時の中国王朝・宋の人の名前と考えられる「仁」の墨書が記されています。町内には平安期の記銘資料は他になく、当時の経塚造営の一端をうかがえる貴重な資料です。