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遠賀のむかしばなし(一話 腰かけ石の話 上別府)

ページID:0001477 更新日:2024年2月19日更新 印刷ページ表示

 菅原道真が京都から筑紫の太宰府に流されて旅をする道すがら、あちらこちらでお泊りになったり、休憩されたりしたところがあり、それぞれに言い伝えが残されています。

 たとえば椎田の海岸にある綱敷天満宮では、突然の旅人を迎えるので座布団が間に合いませんでした。それで綱をグルグルと巻いて座っていただいたので、その名前ができたと言われております。

 また、北九州市の戸畑にある菅原神社では、「今晩一ばんだけでいいから、泊めて下さい。」と、たのんだのですが、「顔も知らん人を、泊める訳にはいかない。」と、言って一度は断わられましたが、何度も頼んだところ、「では仕方がない、朝、一番鶏が鳴くまででよいなら……」と、やっとのことで泊まることができました。

 ところが、あまり時もたってないのに、急に鶏が鳴き出しました。やくそくしたことなので、仕方なく、出発しなければならなくなりました。実は、これは宿の人の計略であって、鶏の首をしめて鳴かしたのだと言われています。

 それから、北九州の若松の蓆屋(むしろや)では、凍てつく夜の寒さをしのぐために宿舎の戸口に蓆(むしろ)をかけたことから、蓆屋天神(むしろやてんじん)として名を残し今に伝えられています。

 このようにいろいろな苦労をしながら旅をつづけ、やっとの思いでここ遠賀の地にたどりつかれました。

 その時、余りにも疲れはてていた道真公はほとんど歩くこともできないくらいでした。

 そしてとうとう道の端の大きな石に腰をおろしてしまいました。

腰かけ石の話

 この様子をみた村の人たちは、水をくみお茶をわかして心から接待をして道真公を慰めました。

 道真公も大へん喜ばれ、香炉や、和歌をかいた色紙などを村の人に下さったそうです。

 また、近くに潮井掛けの松と呼ばれる古い松の木や庚申さまの塔などもあって、海の眺めも美しく旅の疲れをいやすにはちょうどよい場所だったのかも知れません。

 ゆっくりと休まれて、元気をとりもどされた道真公は、また太宰府に向って旅をつづけられました。

 後の世の人が、道真公をしのんでお宮を建ててお祀りしたのが今の高家天満宮です。

 このお宮は、太宰府と同じように、学問の神様であり、また地区を守る神様でもありましたので、遠賀地方の大切な守り神として、秋のお祭りには遠くからたくさんの人達がお参りに来ておりました。

 境内の参道の両側には露店が並び、ガス燈の光りに照らされて、さまざまなお菓子やあめ玉などが売られ、子どもたちには楽しいものでした。

 お宮の横には、舞台もできて、賑やかな芝居もはじまり、大勢の人たちが夜の更けるのも忘れてお祭りに酔ったそうです。

 なお、道真公の腰かけ石は、たたけば遠くまでその音が響いて、ただの石ではないと大切にされ、昭和二十九年上別府公民館を建設する時、上の段に移されました。

 毎年行なわれる天満宮の御神幸には、この石を御旅所として御神輿をおき、お祭りを行い昔をしのんでいます。

 その後、新しい公民館が小字高家にたてかえられたので、また腰かけの石はもとの位置に下され安置されています。

歩いて見ようおはなしのふる里

菅公御遺蹟の碑と並んで置かれていた頃の画像
菅公御遺蹟の碑と並んで置かれていた頃

今は、子供のひろばの眞中に安置された腰かけの石の画像
今は、子供のひろばの眞中に安置された腰かけの石

公民館南の一段高い所にあったが、今は上別府公民館跡地に腰掛石は下されている。の画像
公民館南の一段高い所にあったが、今は上別府公民館跡地に腰掛石は下されている。