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遠賀のむかしばなし(二話 目すすぎの井戸 若松)
若松の北の端にある堂島のお薬師さまは、眼の病気にたいそう効きめがあるということで、近郷の人びとに知られていました。
近くの小高い丘の上に槻の大木にとり囲まれた大きなお屋敷がありました。槻の木はケヤキの古いいい方で、近くの人たちは「つきのき屋敷」とか「長者屋敷」とかよんでいました。
その長者に美しい一人の娘がありましたが、ひどい眼病にかかって困っておりました。いろいろ手だてはつくしましたがよくなるどころかだんだん見えなくなっていきました。
悲嘆にくれていた長者は、そんなある時、近くの村に眼病のお薬師さまがあると人づてに聞きました。
日頃から信心のないことで有名だった長者でしたが、藁をもすがる思いで、さっそく娘をつれてお参りにでかけ一心にお祈りしました。
そんなお参りが幾日か続いたある夜のこと、夢の中に一人の老人があらわれていいました。
「私は堂島の薬師である。熱心に祈る姿に感心したので娘の眼をなおしてあげよう。薬師堂の西にある井戸の水で目をきれいに洗うとよい。」そういって光と共に消えていきました。
おどろいた長者は夜が明けるのを待ちかねて、娘と一緒に夢の中のおつげの通り薬師堂のお参りをすませ、すぐ側の井戸の水で目をていねいに洗いました。
そして二日たった次の朝、両方の眼はすっかりきれいによくなっておりました。
娘は大そう喜こんで、お父さんの長者にいいました。
「お父さん、お願いがあります。あんなにひどかった私の目を治して下さったお薬師さまに何かお礼がしたいのです。あのお薬師さまのお堂はあまりに粗末で荒れはてています。どうぞ立派なお堂を造って下さい。」とたのみました。
まもなく、すばらしいお堂ができ上り、父娘は前にもまして熱心にお参りを続けたということです。
それから何年か経った永禄二年、大友宗鱗の乱で、お堂は焼け落ちてしまいましたが、夜になってお堂の焼け跡の方で、明るく光るものがあるので、村人たちが不思議におもって掘ってみました。
すると、キラキラとかがやくお薬師さまが出てきました。
やがて近くの栄宋寺に安置されたお薬師さまは、大勢の目の病いの人達の助けとなって近郷近在に広まっていきました。
そして、何年かたったある日、高瀬季国というお侍が、この人もひどい眼病で、いろいろつくしてもいっこうによくならないので困っていましたがお薬師さまの話を聞いてはるばるやってきました。
このお侍は三日三晩、お薬師さまに奉仕し、満願の朝がきて、ふと、何だか目の前が少し明るくなっていることに気がつきました。
急いで“目洗いの井戸”に行き、目をすすいでみますと、目はすっかりよくなっていました。
まぶしい朝の光りにかがやく木の葉の一枚一枚や、お寺の屋根瓦までがはっきり見えるではありませんか。
お侍は喜こんで小踊りしながら、お薬師さまに深く感謝したということです。
注記:このお話は若松の栄宋寺の由来書に書いてあり、高瀬季国というお侍の名は若松の小字名“末国”として残っています。また、目を洗った井戸は“目すすぎの井戸”として今も堂塔寺の北にあります。
歩いて見ようおはなしのふる里
薬師堂の西を下りたところにある井戸
堂塔寺あとにある薬師堂
島津橋より北へ150メートル、階段登って薬師堂の西を10メートル下りる。