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遠賀のむかしばなし(四話 神盗人 広渡)
むかし、むかしの遠賀平野は一面の葦や菰のおいしげった水溜りの土地で、「ムタ」という言葉そのものでありました。
もちろん、遠賀川も現在のような川ではなくて、「そのムタ」の中をくねくねと曲りくねって、右に左に自由に流れていたころのおはなしです。
広渡と立屋敷は同じ村であったころのことで、広渡の枝村と呼ばれる立屋敷に立派な氏神様が祀ってありました。
その頃の農村ではお祭りがたくさんあって、春は農業を始める「初祭り」、夏は田植えが終ると「さなぶり」、という祭り、秋は台風にそなえて「風止め祭り」、それから一年の終りの収穫感謝の「お宮座祭り」、などがあり、お祭りが、ある毎に広渡の人たちは、沼田の中の曲がりくねった小径を、ぬかるみをさけながらお宮にお参りしておりました。
楽しみにしているお宮にお参りするのがとても大変なので、広渡の人たちは「近くにお宮があったらなあ。」と、話し合っていたある年の「お宮座祭り」も近い頃のことです。
広渡の一人の若者が、闇夜をねらって、立屋敷のお宮のご神体をひそかに盗みだし、広い菰の中の道を大急ぎで広渡へと引き返していきました。
やがて、立屋敷のお宮の方でも「ご神体」をとられたことに気づいて、大さわぎになりました。
「そう言えば、日暮れ時から広渡の若いもんがお宮のまわりば、そうついちょたぞー。」
「そげん、そげん、どうもそいつがあやしかぞ。」
「みんなで手わけしち、探しち、とりもどさんば――。」
集ってきた大勢の人たちが、若者の後を追って、真っ暗な道を追いかけていきます。追われる方は一人ですが「ご神体」の重さと足元の悪い道のことで、なかなか思うように走れません。
それでもつかまっては大変なので一生県命に逃げますが、追手はどんどん近づいてきます。
そこで若者は、心の中で念じて「しばらくの間、しんぼうしち下さい。」と大切なご神体を菰の中にかくして、逃げて帰りました。
追手は、しばらくそこら中を探しまわりましたが、とうとうあきらめて引き上げていきました。
あくる朝、若者はおそるおそる昨夜の菰の原においてきた「ご神体」をさがしに出かけました。
広い菰の中をあちらこちら探してまわり、やっとのことで「ご神体」を見つけだすことができました。
幸いなことに「ご神体」は少しの傷もなく、立派なお姿でしたが、菰の根元の泥と、菰の根にできる「菰黒」(コモの実)のため真黒に汚れていました。
しかし、「菰黒」で汚れていたため、「ご神体」が人目にもつかず、無事だったわけです。
広渡の人たちは、それは神様のお護りであると信じ、それから後は、毎年「お宮座」のお祭りには、「菰黒」を採って、神棚に供え、宮座の膳に供えることにしました。
そして翌年の「お宮座」まで一年の間、「菰黒」を家の神棚にかけ、一家の安全を祈ることにしたのでした。この祭りは今でも続けられています。
歩いて見ようおはなしのふる里
八剣神社大鳥居と参道
八剣神社本殿
広渡公民館より歩いて5分