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遠賀のむかしばなし(十二話 日本さいごの鬼 鬼津)
むかし、むかしのことです。
桃から生まれた桃太郎が、鬼ヶ島の鬼どもを退治してくれたおかげで世の中が静まり、人々は皆大喜びしておりました。
ところが、この時全滅したと思われていた赤と青の鬼が一匹づつ、島からこっそり逃げだしていたのです。
「どこかに、よい鬼のすみかはないかな。」二匹の鬼は、日本中すみかを捜しまわっておりました。
そして、遠賀と芦屋の山鹿との間にある熊鰐の穴という地の中4キロメートルばかりのトンネルを見つけだしました。
「これはなかなかいいすみかだ。」鬼どもは、とうとうここに住みついてしまったのです。
さて、それからというもの、夜になると、鬼どもは穴から出てきて、畑の作物を荒らしたり、家をこわしたり、人々をおどしたり、いじめたりしました。
そのため、村人達の平和なくらしは一ペんに地獄のくらしに変わってしまいました。
たまりかねた山鹿では、氏神様である狩尾明神に万年願をかけて、鬼どもを退治してくれるよう皆で祈っておりました。
ここの神様は天手力雄命という力持ちの神様でしたから、人々の願いを聞きいれてくださって、大岩を持ち上げて、鬼の穴の上にすっぽりとかぶせてくれたのです。
山鹿の人々は、これで大安心と大喜びいたしました。そして、その場所を“鬼かぶせ”と名付けたのです。そこは、今では“鬼神瀬”と呼ばれています。
ところが、遠賀の方では、山鹿の穴がつぶされましたので、よりいっそう鬼どもに荒らされることとなり、村人達は、安心して田畑を耕すこともできず、夜は早々と家の戸を閉め、ひっそりと隠れるように暮さなければならなくなりました
「鬼どもがいる限り、田んぼにも、畑にも出られんし……。」
「これ以上、この村におっても、このままでは皆飢え死にじや。」
とうとう村人達は、一軒また一軒と、他の村へ移つていき、遠賀の里は、それはそれは荒れ果てた淋しいところとなってしまったのです。
さて、その村には、力丸という一人の若者が、年老いた両親と一緒に住んでおりました。
力丸の両親は二人とも寝たきりの人で、とても他の村へ移ることなどできませんでした。
しかたなく一軒残った力丸は、鬼どものようすをうかがいながらも、かいがいしく働き、心から両親のめんどうをみておりました。
ある日のこと、破れ笠に破れ衣の年老いたお坊さまが錫杖(お坊さんなどが持って歩く環のついたつえ)の音をかすかにならしながら、西の方から村の中へ入って来られました。
そして、荒れ果てた村の様子に心をうたれ、低い声でお経を唱えながら、かなしそうにたたずんでおられました。
しばらくすると、その坊さまは、たった一軒残った力丸の家にあらわれて、一夜の宿をたのまれました。
力丸は、喜んで坊さまを家に入れ、貧しいながらも心のこもったおもてなしをいたしました。
やがて、坊さまに尋ねられるままに、村の荒れたもとが、鬼どものせいであることや、両親の病気のため、皆と一緒に村を逃げることができなかったことを、ぽつりぽつりと話しました。
その間、目をつむって静かに話を聞いていた坊さまは、一部始終を聞き終えると、「ほんとうにお困りじやのう。じゃがな、人の世は悪いことばかり続くものでもあるまい。きっと、そのうち闇の中から光がさしてくるであろう。
まずは、親ごさんに、柿の葉と猿の腰かけを煎じて飲ませてあげなされ。」と、おっしやいました。
そして、坊さまは、次の朝早く旅立たれましたが、別れぎわに、「世話をかけましたな。十日たったら、鬼の穴のところに行ってごらんなされ。」と、力丸にいいおかれました。
力丸は、坊さまのおことばどおり、柿の葉をとってきては、せっせと煎じて、両親に飲ませました。
が、大木の幹に生えるという猿の腰かけの方は、探しても探しても見つかりませんでした。
そうこうするうちに、はやくも十日がすぎました。
力丸は十日のうちに一体何ができるのだろうかと、不思議に思いながらも、こわごわと、鬼の出てくる穴のところへ出かけました。
「おう!これは、なんということじや!」驚ろいたことに、穴の入口は小山のように土が盛られ、しかも、その上には、いつのまにか、見上げるような榎の大木が生えているではありませんか。
これなら、さすがの鬼どもも出てこられません。
こうして、最後まで残っていた赤鬼、青鬼は、穴の中に閉じ込められてしまいました。そして、こののち、二度と出てくることはありませんでした。
さて、力丸が、ふと、榎の根元をみますと、そこには、あの坊さまの錫杖が、しっかりと、はまり込んでおりました。
しかも、その上には、大きな猿の腰かけが生えているではありませんか。
力丸は、榎の根元で手を合わせ、猿の腰かけをありがたくいただいて帰りました。
家に帰った力丸は、早速、両親に猿の腰かけと柿の葉を一緒に煎じて飲ませました。
そうしているうちに、両親も元気をとりもどし、以前のように、田畑を耕すこともできるようになりました。
その上、働きものの力丸には、気立てのよいお嫁さんもきて、たいそう幸せに暮らしたということです。
さて、遠賀の里では、他の村へ逃げていた村人達が、鬼どものいなくなったことを伝え聞いておりました。
「力丸のおかげで、鬼どもがいなくなったそうじや。」
「ありがたいことじや。ありがたいことじや。」
「わしらも、村のことが気がかりじゃったが、これでやっと村に戻れるのう!。」
なつかしい村へ戻ってきた村人達は、前よりも一層せいを出して働くようになり、平和でおだやかな暮らしを続けていくことができるようになりました。
又、榎の大木を植えて、鬼どもを退治してくれたあの不思議な坊さまについては、「あの坊さまは弘法大師、お大師さんにちがいない。」「そうじや、そうじや。そうにちがいない。」と、うわさしました。
というのは、その頃弘法大師は、お寺に住んで、お経をあげたり、お葬式をするお坊さんとは少し違って、日本国中を旅して回り、いろいろな土地で、困っている人達を助けていらっしゃったからです。
ところで、親孝行な力丸の家のあったところは、今では、“力間”という地名で残っています。
そして、鬼どもが出入りしたといわれる熊鰐の穴のあった場所は、日本さいごの鬼にちなんで、“鬼津”といわれるようになりました。
歩いて見ようおはなしのふる里
古墳もなくなり畑地に淋しく佇んでいる丸山地蔵
力間口古墳の守り仏 通称丸山様
力間の畑にある巨石は何かを語ってくれそう!