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遠賀のむかしばなし(十三話 まてじい 木守)
むかしむかし遠賀の里の木守村に、“まてじい”とよばれているじいさまがおりました。
百才近い村一番の年寄りでしたが、元気で働きものでしたので、殿様からおほめのことばをいただき、ごほうびをちょうだいすることもたびたびでした。
ところで、“まてじい”というあだ名には良い意味と悪い意味の両方がありました。
良い意味はこういうことです。村にもめごとがあったり、争いごとがあったりした時、じいさまは、必ず中に入って、「まぁて、まぁて、ちょっと待てばなにごともうまくいくもんじゃ。」と、いいながら、その場をおさめておりました。
そうすると、争っていた人達も気分が落ち着くらしく、よく話し合って仲直りができたということです。
それで、村人達の間では、「まてじいが来ちゃ、待たずばならねえ。」が合い言葉となり、おかげで木守村は、折り合いのいい村といわれました。
“まぁて、まぁて”というじいさまということで、“まてじい”とよばれたのでした。
一方、悪い方の意味は、こういうことでした。木守村にはどうしたわけか“まてじい”とよばれる実のなる大きな木がたくさんあったのです。
じいさまは“まてじい”の実の落ちるころになると、あちこちの庭に入り込んでは、”まてじい”をすっかり拾い集めてゆくのです。
ですから、“まてじい”のある家々では、いやな顔をするのですが、じいさまは、いっこうにおかまいなしです。
「拾わせてもらいますで。」と、いいながら、せっせと拾い集めていくので“まてじい”の実を集めるあつかましいじいさまということで“まてじい”とよばれたのでした。
さて、ある年のこと、木守村をはじめ遠賀の里は、大風、大雨、洪水とさんざんな目にあい、麦も野菜もそのうえ米も、ほとんどがだめになってしまったのです。
日頃から貧しい村人達は、なおさらに困って、食べものを集めるのに必死でしたが、なかなか思うように集まりません。
そこで、村人達は庄屋さんの所に集まって、どうしたものかと話し合っておりましたが、良い考えもなく、ほとほと困りはてておりました。
ちょうどその時、まてじいの使いの者が、庄屋さんの所に、手紙をもってやって来ました。
その手紙には、『庄屋さんに見せたいものがあるんで、急いで、家に来て下され!』と、書かれていました。
こんな時になにごとかと思いつつも、じいさまのところに出かけた庄屋さんは、蔵に案内されて、それはそれはびっくりしました。
蔵の中には二十俵以上の俵がどおんとつんであったのでした。
庄屋さんが、「まてじいさん、こりゃなんじや。」と、びっくりして尋ねますと、じいさまは、俵の一つをポンとたたいて、「こりゃ“まてじい”よ。こんなこともあろうかと集めておいたのじや。さあ、みんなに分けて下され。」というではありませんか。
大喜びした庄屋さんは、さっそく、村人達みんなにわけてやりました。
村人達は、じいさまに感謝しながら、“まてじい”を粉にして、団子にしたりして喰いつないだということです。
そして、木守村の人々は、“まてじい”のおかげで無事に年を越すこともでき、じいさまは、“まてじい”といわれて村人達から慕われました。
こうして、木守村の家々からは夕げのしたくをするかまどの煙がたえることはなかったということです。
歩いて見ようおはなしのふる里
白石氏屋敷に当時の面影が残る、木守の椎の並木
木守神社西側歩いて1分のところにある
木守神社西方1分白石氏屋敷