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遠賀のむかしばなし(十五話 こぶの源助さん 尾崎)
むかし、むかしのお話です。
尾崎村の源助さんには、左耳の下のところに、小指のさきぐらいのこぶができていました。
はじめのうちは気にもかけていませんでしたが、少しづつ少しづつ日ましに大きくなっていぎ、盃ぐらいの大きさになり、やがては茶碗ほどにもなり、とうとうしまいには、お米の二升も入っていそうな袋のようになってしまいました。
「どうしようか。どうしたもんかいな。」
お医者どんも、「わたしには、どうしてやることもでけんなあ。」
近所近辺のお医者どん達も、さじをなげてしまいました。
困りはてた源助さんは、あれこれと考えたあげく、これはもう「神様にお願いするしかしかたあるまい。」
と、遠賀村のとなりにある岡垣の高倉神社ヘ、一年間の願かけをしました。
それからは、毎朝毎朝、雨の日も風の日も一里(四キロ)の道を、おもたいこぶをかかえて二股から糠塚、山田から野間を通って、高倉神社へとお参りしました。
こうして一ヶ月たち、ニケ月も過ぎましたがさっぱりきき目がありません。
村人たちは同情する人もありましたが、中にはおもしろいかっこうを見て、笑い者にする人もおりました。
“尾崎の源さん、こぶ源さん。今日も高倉、宮まいり。
二升ぶくろばぶらさげて、中身は水かな、小糠かな。
水なら野間でのましちゃれ。ぬかなら糠塚にすてちこい。
いっそ鬼津がよかんべえ。鬼ならこぶは取るちゅうばい。”
やがて八、九ヶ月もたったある晩、源助さんはこぶのとれた夢を見ました。
しかし、朝になって夢とわかった時は、ひどくがっかりしてしまいました。
それでも気を取りなおして、いつもの通りはやばやとお参りにでかけてお祈りをすませ、神社の前の階段をおりかけたところ何となく、こぶが冷え冷えとしてくるではありませんか。
こぶをなでなで手洗鉢の所までくると、こぶの下の方が破れて水のようなものが、ザーッと、もれだして、
たちまちこぶは、ぺしゃんこにつぶれてしまいました。
いやあ、その時の源助さんの喜びようといったらありません。
手をふり、足をふり、ピョンピョンピョンはねながら、「こぶが取れた。こぶが取れた。」
「ありがたや、ありがたや。」と、そこらじゅうを大声でさけびながら、宙をとぶように帰って行きました。
あーあ、神様にお礼をいうのも忘れて。本当にうれしかったのですね。
その後、源助さんはお礼の印にと、毎月一回決まって、高倉神社の広い広い境内を一人ですみずみまできれいに掃除をする事にしました。
そして、それは何年もつづいたのです。
これを見た高倉神社の神主さんや高倉村の庄屋さんが、いろいろと相談して、お宮の戸籍帳に入れて、源助さんに役得をあたえました。
源助さんはここで八十才を過ぎるまで、元気につとめたということです。
歩いて見ようおはなしのふる里
岡垣への道・県道黒山・広渡線
今の尾崎公民館前
源助さんが高倉宮に通った道は、今は車がひっきりなしに通っている