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遠賀町誌

ページID:0026834 更新日:2023年4月17日更新 印刷ページ表示

町誌発刊のことば

遠賀町長 柴 田 貫 蔵

 遠賀の里は、古代から遠賀川の流れを中心に遠賀川式農耕文化の発祥地として、日本の古代史に重要な位置をしめ、本町の平坦部は大半この遠賀川の河川堆積に因り形成されてきました。
 戦国時代から近世にかけて、当時葦牟田等の低湿地であったものを、江戸時代に入って積極的に新田開発が進められて今日の沃野が拓け、その開発の歩みの中で営々と築いてきた土木・水利の技術は当時の住民の英知と努力の結晶で、そのなかに温い人情、風俗がはぐくまれ、いわゆる、川筋文化として、今日、本町の物心両面に亘る支えとなり、 底流となって、村から町へと新しい生活の舞台を形成してまいりました。
 明治二十二年四月市町村制が敷かれ、今までの村々が合体し、南部四ヶ村で浅木村、北部六ヶ村が合併して島門村が誕生いたしました。また、昭和四年四月には、土木・水利・産業などを同じうする両村が合併し、遠賀村の誕生となったものであります。
 以来五十有余年が経過いたしましたが、戦中・戦後の激動期を経て、昭和三十年代の高度経済社会への展開と相まって、本町の装いも純農村から近郊農村へと姿を変えながら、昭和三十九年四月町制を施行し、北九州都市圏の一翼を担い田園都市としてスタートをいたしたのであります。
 昭和五十九年に町制二十周年記念事業の一環として刊行を計画し、かねてから編集作業を進めておりました遠賀町誌が漸く完成し、ここに発刊の運びとなりましたことを心からお喜び申しますとともに、町民の皆さんのご利用を願って止みません。
 最近の目立つ科学・経済・文化の発展に伴なう社会機構の変化は、価値観の多様化等複雑な世相を生み、また本町の歴史を支えて来られた古老が一人、二人と去られ、次第に古きものが失われつつある現状を見るとき、失われ行く真実を史実として止め、ここに記録を残すことは、私達町民に課せられた使命でもあらうかと存じます。
 私達は町民各位が、この町誌を正しく理解し、先人の残した豊かな郷土を心から愛し、さらに又新しい「町づくりの糧」として有効に活用していただくならば誠に幸甚に存じます。
 今回、町誌を刊行するに当りまして、長年に亘る資料収集や執筆に惜しまぬご苦労をいただきました町誌編集委員会の片山委員長並びに編集委員の皆さん、また本町の古代・中世について特別執筆をお願い致しました奥野先生、恵良先生、そして町誌全体のまとめと監修について格別なお力添えを頂きました能美先生、更に町誌発刊に対する資料提供や現地調査など積極的ご協力をいただきました町内外関係者の皆さん方に深く感謝の意を表するものであります。

昭和六十一年一月

遠賀町誌の発刊を祝して

遠賀町議会議長 井 口 時 彦

 遠賀町誌の発刊を皆さんと共に心から、およろこび申し上げます。
 遠賀川の流れ、響灘の潮騒・遠賀平野の水田の勾・村祭り・みんな私達の「ふるさと」なのです。この町に住み、育ち、日々の営みのなかから、本町の歴史と伝統が培われているのです。
 本町は、太宰府官道に通ずる交通要所(島門駅跡)として、早くから、経済・社会・文化が発達し、遠賀川と川舟、広大な水田を中心とした農漁労生活の近代化が進んできたと思われます。
  明治22年、北部6カ村を以って島門村を、南部4カ村を以って浅木村を編成し、昭和4年両村が合併して遠賀村となったのです。
 大正年間に起った筑豊炭田もエネルギー革命の波は防げず、昭和37年三菱新入鉱業所、鞍手炭坑の閉山によって種々の問題をかかえながら、工場誘致をはじめとした産炭地振興が進められてきました。一方、戦後目ざましく復興した北九州重工業地帯の進展や国鉄電化などにより、従来の純農村としての形態様相も漸次変ぼうし、昭和39年町制施行するに至り、昭和47年頃から町内にも、新興住宅団地が誕生し、田園が住宅地となり、本町にもベットタウンとして都市化の波が押し寄せ、昭和55年の国勢調査では、県下第3位いう人口増加率を示し、農村遠賀としての継承と共に、今や、田園都市としての新らたな装いのもとに、農村のゆとりと都市の活力をあわせもつ「豊かな生活都市」づくりが希求されています。こうした急激な社会構造の変化は、住民の価値観やニーズの多様化を生むと同時に、地域共同体のきずなはゆるみ、疎外感、孤立感、断絶が深まるなかで、地域社会の連帯感の育成とコミュニティづくりの充実をめざし、積極的な住民活動が期待されるところであります。
 私共の祖先、先輩が幾多の苦難を克服し、村づくり、町づくりに大変努力された歴史に学び、その沿革を明らかにして、さらに住みよい郷土づくりの貴重な資料としなければなりません。幸い、遠賀町制施行20周年記念事業として、遠賀町誌の発刊が計画され、古代・中世・近世・現代に亘り片山武司氏外7名の方々による丹念な資料の集録と編集、そして、監修は斯界の権威である能美安男先生にしていただき、見事に完成の運びになりましたことは、昼夜をとわず献身的なお取組みの結果であり、有難くこの上もない喜びです、厚くお礼を申し上げます。
 「遠賀町誌」が、わが町の歴史集として末永く手近に保存活用され、本町の将来の展望をみちびき出し、未来の方向づけに、また、問題解決への有力な手がかりの糧となることを期待してやみません。最後に、この発刊の喜びを全町民とともに、わかちあい度いと存じます。ここに、関係者各位に対し議会を代表して敬意と祝意を表する次第です。

昭和六十一年一月

凡 例

一、文章は当用漢字、現代かなづかいを原則とするが、引用文、歴史的表現、固有名詞等は原則に従っていない。
一、資料集を作製しないため、地元の史料はできるだけ採用し、原文通りを原則としている。公刊されている史料は書き下し文に改めたものもある。引用文中も当用漢字のあるものはそれを用いている。
一、本文に引用した以外の史料は一段下げ、8ポイント活字で示している。
一、年号は和暦年を用い、明治以前は( )内に西暦を併記している。
一、年月日の表記には和数字を用い、数量を示す場合には万以上にのみ単位の表記をしている。
一、計量の単位は尺貫法とメートル法を併用、尺貫法は必要と思われる場合にはメートル法に換算している。
一、典拠資料の表示は、原則として、巻末の参考文献に示す数字で傍証し、頻出度の低いものはこの箇所に割註で示している。
一、敬称は原則として省略している。
一、掲載の地図は第1-2図(国土地理院 昭和三〇年版 二万五千分一図「折尾」)以外は遠賀町役場調製の地図を使用している。
一、本書の執筆分担は次の通りである。全体の統一は能美安男が担当した。第六編の現代に関する事項は一部遠賀町教育委員会が担当している。
  第一編 能美安男
  第二編 (第一次原稿)福島茂雄 (第二次原稿)能美安男
  第三編 奥野正男
  第四編 恵良宏
  第五編 能美安男
  第六編 (第一次原稿)片山武司 (第二次原稿)能美安男・遠賀町教育委員会
  第七編 古野千年
  第八編 古野千年
  年 表 能美安男
一、本文中に註記されている参考文献・引用文献は、原則として、巻末の「参考文献」より除外している。
一、見返の地図は小野邦雄氏蔵の明治八年「遠賀郡全図」の部分である。